子育てのゴールってどこだろう?そう考えた時に、子どもの大学入学がゴールだと考える人も多いのではないでしょうか?
ところがです。当の子ども達も大学入学が人生のゴールだといわんばかりに、入学後は勉強もしないで遊んでいる。そんな例は枚挙にいとまがないといいます。
↓ 指定校推薦で合格が決まったら授業中に寝ているという事例も・・・
高い費用を払って子どもを大学に送り込んでも、当の本人が遊んでばかりなら、大学へ行かせた意味があるのか?という事にもなります。
実は、大学入学がゴールになり、入学後、学生が勉強をしない現状を文科省も憂慮しています。そこで、2020年、大学入試を大きく変えていくことを決めた。
それがいわゆる、大学入試改革です。
すでに2020年から動き出している大学入試改革は、当然ながら試行錯誤。保護者や受験者からも不安の声があがっていると聞きます。
- 僕の娘たちは、果たしてどんな大学入試を受けるのだろう?
- これから大学を受験するかもしれない我が娘の受験が相当不安。
そんな気持ちから、大学入試改革のことが知りたくて「教育激変」という本を手に取りました。今回はこちらの本を書評してみたいと思います。
本書と著者のプロフィール
池上 彰氏
ジャーナリスト。1950年長野県生まれ。慶応義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーとなり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。名城大学教授・東京工業大学特命教授など計8大学で教える(著書発行時)
佐藤 優氏
作家。元外務省主任分析官。1960年東京都生まれ。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、在ロシア日本大使館に勤務。2002年背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月、執行猶予付き有罪確定。13年6月、執行猶予期間満了。(著書発行時)
本書の要点ポイント(書評)
2020年、新学習指導要領が導入され、大学入試についても、大学入学共通テストが実施されました。
今、なぜ大学入試改革が必要なのか?文科省がいう「主体的・対話的で深い学び」とは何なのか?
おなじみ池上 彰氏と佐藤 優氏が、今の教育の問題点とこれからの教育の在り方、そしてそれに伴い大学入試はどう変化していくのか、いくべきなのかについて議論された内容をまとめたものが本書です。
巻末には、大学入試センターの理事長も登場し、大学入試改革の真の狙いがわかる!一冊となっています。
大学入試改革で、受験は大きく変わる
大学入試改革で偏差値至上主義の学校は廃れる?
本書で、池上氏と佐藤氏の口からたびたび登場するのが、「受験予備校化」もっと過激な言葉でいえば、「受験刑務所」という言葉です。
今難関校といわれる大学への入学者は、圧倒的に首都圏の中高一貫私立校出身が多いといい、地方の公立高校の学生は非常に少ないのだそうです。
こういった子達は、
基本的に恵まれた環境に育ち、子どもの頃から塾通いをし、偏差値の高い私立学校で学び、ずっと同種の人間たちばかりのコミュニティーで育ってきた
といい、視野が狭いのだと指摘する池上氏。佐藤氏においては、このことを「学生たちが均質化している」といいます。
つまり、平均点がとれる子ばかりなんだと嘆いていらっしゃる。そこには、偏差値重視でいい大学に入る事だけを目的にした今の受験産業が背景にあると。
このような教育が続くのであれば、突き抜けた子やリーダーシップを発揮して世界で戦えるような子は生まれにくい。ということをおっしゃりたいのだと思います。
我が子にそのような資質があるとはまったくもって思ってはいませんが、
それでも!
今の偏差値重視の受験というのは、僕は子どもの本来の能力を活かしきれていない教育だと思っているし、近いうちに崩壊していくのではないかと予想しています。
著者だけでなく、識者の多くがこの偏差値至上主義を否定しているのですから、東大や京大、他名門校に合格者を送り出すことだけを目的にしているような進学校であれば、今後は廃れていく可能性があると思います。
学歴ヒエラルキーは無意味
本書ではさらに突っ込んで、歪んだ偏差値至上主義を「学歴ヒエラルキー」といって問題提起されています。
「ヒエラルキー」とは序列のことをいいますが、例えば中学受験でいえば、○○中学が一番だとか、大学でいえば〇〇大が一番だとか、そういうので競ったりコンプレックスを持ったりするだけの世界。これって際限がないのだと著者はいいます。
佐藤氏は、受験に過度なエネルギーを注ぎ込むよりは、そこそこの学校で頑張った方が充実した人生が送れるのではないかとさえおっしゃいます。
未来の事はわかりません、わかりませんよ!と前置きさせていただいて。僕はどうも未来の教育は佐藤氏のおっしゃる方向に進むのではないかと思っているのです。
アドラーじゃないですけど、人生、他人と比較ばかりして、それも学歴ヒエラルキーで悩むのってばかばかしいとなる。学歴ではなく、何を学んだか、どれだけ学んだか、学び続けているかが評価される。近い将来、それがスタンダードになるような気が僕はしています。
AIに勝てる能力「読解力」が重要になってくる
今後、大学に受かるためだけに勉強するという形は崩壊していく。この方向は間違っていないし、本当に近いうちにそう変わっていく。本書を読んでより強くそう思うようになりました。
本書では、これから訪れるAIの時代に必要な力は何かを議論されているのですが、そこで登場するのが、新井紀子氏の著書「AI vs 教科書が読めない子どもたち」です。
テクニックなら今後、人間はAIに太刀打ちできなくなります。すでにAIは、MARCHに受かるだけの能力をもっていることは、「AI vs 教科書が読めない子どもたち」に書かれているとおりです。
AIが人間を超えることはないが、それでもAIができることしかできないのであれば、人間はAIに置き換えられる。AIが苦手である読解力を身につけることがこれからの教育では重要になる。
受験テクニックではなくて、読解力。大学では論文を書いたり、学術書を読んだりするわけですから、最低限「教科書が読める子」を育てて大学に送り出すべきだと僕も共感するところです。
↓池上 彰氏は社会に出る時、必要な能力は読解力だとおっしゃっていますね。
大学入学共通テストとは?
大学の本試験(二次試験)の前に国公立大学の受験者全員に同じ問題を解かせた「共通一次試験」がはじまりです。その後、私学なども参加できるようになった「大学入学センター試験」になり、2021年1月から新たにスタートしたのが、大学入学共通テストです。
ちなみに本書では、この大学入学共通テストに至るまで歴史や導入背景まで書かれているのでとても面白いです。
大学入試改革の意図
今回の教育改革のベースとなっているのは、2013年に教育再生実行会議が出した「第四次提言」だといい、本書では冒頭部分を抜粋して紹介しています。
大学入学者選抜が、(略)知識偏重の1点刻みの大学入試や、本来の趣旨と異なり事実上学力不問の選抜になっている一部の推薦、AO入試により、大学での学びに必要な教養や知識等が身についているかどうかを確認する機能が十分発揮されておらず。。。
「なんだ、わかっているやん!」
これを読んで僕は思わず声を出しました。
文科省も、一部の推薦やAO入試の学力不問を問題視してたのですね。そのための改革のスタートなのかと腑に落ちました。
そりゃそうです。大学に入るのに学力不問って、大学入学の裏技みたいなもんだと僕は今でも思っています。
なぜ大学入試改革が必要なのか?
なぜ大学入試改革が必要なのか?文科省のホームページにその目的が書かれているようでこれも本書で抜粋して紹介されています。
これからは、予見の困難な時代の中で新たな価値を創造していく力が必要だといい
学力の3要素
- 知識・技能
- 思考力・判断力・表現力
- 主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度
を育成、評価することが重要
とされているそうです。
そうです、思考力・判断力・表現力。それから主体性を持って学ぶ態度。いわゆるアクティブ・ラーニングといわれるものが今後は必要であり、その能力を問うというわけです。
大学入学共通テスト。実際の中身
本書では大学入学共通テストの前のプレテストを一部抜粋して紹介されているのですが、深い思考力が問われる問題で確かに良問だと思いました。これは今までの勉強方法では解けないな。というのが第一印象。
しかし同時に、小中高校でこの問題を解ける授業が出来る?出来ないでしょ?
と思いました。
それから、受験塾がこのテスト対策をしてくるでしょう。だったら、塾通いしている子しか解けない問題になるのでは?
という不安。
良問だと思うよりも先にこの不安が頭をよぎりました。
この問題自体はよい。だけど、一部の地頭の良い子は解けるだろうけど、結局、この問題を解ける授業を小中高からはじめないと、先生が一方通行で授業している現状、我が子がこの問題を解けるようになるとは思えない。
実際、このプレテストの結果は非常によくなかったそうで、佐藤氏もこれに対応する学力が中高で育まれていないことを指摘されています。
改革をするなら、大学入試からではなくて、小中高が先なんじゃないの?と僕は思うのですが、違うのですかね?
大学入試にアクティブ・ラーニング問題は必要か?
アクティブ・ラーニングの課題
主体的かつ対話的で深い学び。これをアクティブ・ラーニングといいましたが、保護者の立場からして、このアクティブ・ラーニングには課題が多いと思っています。
前述しましたが、小中高でアクティブ・ラーニングを教えられる先生が育っていないし、何かの本で読んだのですが、アクティブ・ラーニングをするために前提となる知識は絶対に必要です。知識がない子が、何が何でもアクティブ・ラーニングだといって議論しても、議論にすらならない。
僕の娘がテストで毎回100点や100点近くとっていたのに、通知簿でよく出来るをとれなかったのも、この主体的学びができていなかったようなことを言われたのですが、アクティブ・ラーニングの点数のつけ方もまた曖昧。何となく基準で通知簿がつくのであれば、もうアクティ・ブラーニングは別授業にして評価してほしい。
アクティブ・ラーニングなら「反転授業」がよい
本書ではアメリカの「反転授業」が紹介されているのですが、これはいいなと思いました。
反転授業とは、最初に先生が授業のVTRを作って、学生はあらかじめ家でそれを見てから学校の授業に臨む。従来の学校で授業を受けてから復習をするという方法を「反転」させているから、反転授業というそうです。
予め家で予習しているので、本番の授業ではより理解が深まるし、自発的にその先の学びを追求できるというメリットがあるといいます。
これならアクティブ・ラーニングが活きてきそうです。
実は予習の大切さをおっしゃる識者は多いです。今まで僕が読んだ本「身の丈にあった勉強法」や、「中学生からの勉強のやり方」でも、著者は予習の大切さを説いておられましたし、僕自身も娘たちに特に数学ですが、予習していくようにさせています。
何も理解していない状態で授業を受けるとつまらないですけど、少しでも理解して授業を受けると、その授業の理解度はもちろんですが、楽しさも違うと思うのですね。
アクティブ・ラーニングにしてもまず前提として知識があるほうが、絶対に議論が深まると思うのです。
大学無償化はしなくてもよいか?
最後に、大学無償化についても議論がありましたので、紹介しておきたいです。これから大学進学を控えている娘をもつ僕としては、大学入学共通テストで最低限の点数を採った上での大学無償化をぜひ、政治の力で実現してほしいと思っているというのは、前回のブログで書いた通りです。
では、佐藤氏の意見はどうか?佐藤氏は、個人的な意見として大学無償化は不要ではないかとおっしゃっている。しかし、国公立大学の授業料は大幅に下げて、私学については助成をやめて徹底的に淘汰されるべきだという意見でした。
これも一つの案だなと思いました。猫も杓子も大学へ行けるのはいいかもしれないんですけど、今の大学入学制度は、ハードルが低すぎるように思うのですね。そして、それが子どものためになるとはどうも思えないから。
まとめ 大学入試改革は道半ば。不安しかないけど対策を
本書を読んで、大学入試改革はまだ道半ばだということがよくわかりました。これから大学受験をする子をもつ親としては、今後も大学入試改革を注視しておく必要があります。
一番不安に思っているのは、我が子が受ける大学受験のタイミングで、大学入試ががらっと変わる可能性があるのではないかという点です。
大学入試改革の方向性は何となく理解しました。しかし、小中高でアクティブ・ラーニングを教えられる教師は現状少ないと思う。それで大学入学テストだけが、本格的にアクティブ・ラーニングに切り替わったら、学校の授業を真面目に聞いているだけでは、点数採れませんよね。
このアクティブ・ラーニングにいち早く対応できるのは、やっぱり私立中高であったり、塾であったりするような気がするのですね。より教育格差が広がるのでは?とさえ思います。
小中高の授業が劇的に変わらないようなら、僕は大学入学共通テストは、基礎学力を問うだけの問題としてもらって、どうしてもアクティブ・ラーニングの能力を問いたいのなら別問題としてほしいです。そう思うと、今ならそれが総合型選抜試験になるのかな?
僕が親として今から準備しておいてほしいなと思う事は、やっぱり最低限、本を読めるようにはしておいてほしいなと思います。できれば、新聞は読めるようにしておいてほしいかな。
↓総合型選抜試験対策になる。我が家は読売中高生新聞を購読していますね。
あと現実問題、本当に大学受験でアクティブ・ラーニングの能力を問われるなら、塾を利用しないと仕方がないのかな?と思う。教わっていないもの、訓練していないものを解けといわれてもね。。。
本来、小中高から改革してもらって、その学びの成果を大学入試で問うてほしい。順番が逆じゃない?と不安に思いますが、文句ばっかり言っても仕方がないので、今後も大学入試改革を注視していきたいと思います。