先日、小学生の頃はできなかった算数の文章問題が大人になって解けるようになったのは、読解力がついたからだと持論を書かせていただきました。
今世の中はグローバルだということで英語やプログラミングばかりが注目されている感もありますが、社会に出て、最も重要な力はむしろ読解力であると言えると思います。
社会で何十年も働いている僕も「もう少し読解力があれば」と痛感するこの読解力とはいったい何なのでしょうか?
- 読解力って、国語の事じゃないの?
- なぜ英語より、プログラムより読解力が大事なの?
- どうやったら読解力が鍛えられるの?
こうした疑問に答えてくれる本が、「社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?」です。池上彰氏の著書です。
↓AIに負けない為に必要な読解力
本書と著者のプロフィール
池上彰氏
1950年長野県生まれ。ジャーナリスト。慶応義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など多方面で活躍。(著書発行時現在)
池上彰氏の関連著書
本書の要点ポイント(書評)
読解力とは何か?
世界79ヵ国、地域の15歳 約60万人の生徒を対象に行われた2018年のPISA調査(学習到達度調査)で、日本の読解力の順位が前回2015年の8位から一気に15位まで下がったというショッキングなニュースが報じられました。
※このPISA調査は3年に1度行われるそうですが、2021年はコロナの影響で延期。2022年今年行われる予定になっています。
このPISA調査における読解力の定義は、
自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ社会に参加するために、テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、これに取り組むこと
となっており、定義の中の「テキスト」とは、文章だけでなく、図・グラフ・表など数学的資料も含まれるというので、読解力=国語と狭義にとらえていた教育関係者に驚きが広がったといいます。
一方で池上氏の読解力の定義は、「自分以外の他者、直面した状況など多岐にわたる「相手」のことを正しく理解する力」とされています。
読解力には情緒と論理がありどちらも必要
2022年今年、高校新学習指導要領により、国語は
- 「現代の国語」「論理国語」→論理的文章を扱う
- 「言語文化」「文学国語」→文学的文章を扱う
と細分化されたそうですね。
現在は論理的に物事を考える力を鍛えるという風潮があり、こうして国語を細分化することで、論理的読解力ばかりに力点がおかれ、文学的文章がないがしろにされないかと池上氏は危惧されています。
読解力には、相手の主張を理解する力である論理的読解力、一方で自分とはまったく違う境遇の人、考え方が異なる人に対しても共感できる力、すなわち情緒的読解力があるという池上氏。
読解力には情緒的読解力と論理的読解力がありどちらも大事だという事をおっしゃっています。
数学も読解力を伸ばす
近年の文系にも数学が必要。という風潮についても実は読解力が関わっている。
ベネッセ教育総合研究所が、2006年小5と中2の5700名を対象にした、教科学力、読解力、学習意欲を測る大規模調査を実施した結果、読解力と数学には相関関係があることがわかったそうです。
文系である早稲田大学政治経済学部の入試で、数学が必須になったことは大学入試のニュースとしては衝撃で、僕の記憶にも新しいところです。
池上氏によれば数学を捨てて入学した学生の論理的能力の不足に悩まされていたのではないか?と書かれています。数学を導入した結果、受験者は3割減ったそうですが、学生の質を確保するための大改革であるといっていいでしょう。
単純に数学=理系ととらえるのではなく、数学も論理的読解力の一部であると考えると腑に落ちますね。
ゲームやスマホが読解力を錆びさせている
子どもの頃から読書が大好きだったという池上氏。やがて新聞も読むようになったといいます。池上氏は、テレビゲームもない時代だったため、やることがなかったため、本や新聞を読む他なかったともおっしゃっています。
本当に環境は大事です。テレビゲームやスマホが世に出て、明らかに本や新聞を読む子が減っていると僕は思います。
特に高校生、大学生の読書離れが顕著で、大学生で1冊も本を読まない人の割合は、2019年なんと47.3%にもなっているそうです。
大学に行ってから全く本を読まない子は、読解力も錆びてくるわけですし、大学生がそんなんでいいの?と思ってしまう。残りの53.7%の学生は本を読んでいるわけですから、こうした本を読んで探求できる子こそが社会で活躍するのだろうな、逆に本を読まない、もしくは読めない子との差は広がるだろうなと、社会人を何十年も経験してきた僕が言いきります。
また本書ではLINEで既読スルー問題についても言及されています。既読スルーを指摘されるのが嫌で、常にスマホを見ていなければならない状態が続くと、いわゆる「スイッチング」状態になるそうです。
スイッチングとは、何か集中しているときに妨害が入り別の事をやり始める行為のことで、結果、脳が何にも集中できなていない状態。スマホ脳の書評を書きましたが、脳がスマホに支配される状態は本当によくないなと最近思うようになりました。
現在社会、スマホを断つことは難しいわけですが、スマホの量を段階的に少なくしていくことは大事。そのためには親がスマホばかりしていては当然ダメで、意識して子の模範、鏡となることをコツコツ努力していくべきだと僕は思っています。
読解力も家庭学習で鍛える
本書にもPISA調査の読解力調査について多く書かれているわけですが、日本の教育界も、読解力をどうしたら伸ばせるか色々考えているとは思います。
ですが何度もブログで書いているように、教育の基本はやっぱり家庭学習。池上氏も、家庭で過保護になりすぎていないか?と問うていらっしゃいます。
例えば、子どもが
「あれとって。」といった事に対して、親が察して、「あぁ、あれね」といってとってしまっていないか?そうじゃなくて、「あれって何?」何が欲しいのか、誰に求めているのか、これもちゃんと文章にして伝える訓練ですね。
小さい事の積み重ねではありますけど、家庭でどれだけ子とコミュニケーションをとって、親子で表現力を鍛えているかも大事なことですね。
まとめ。社会に出て役立つ読解力とは論理的思考ばかりではない
今回僕は、読解力=国語力と考えていたことが間違いである事に気づかされました。社会に出てみて、論理的思考を求められることが確かに多いと気付くのですが、決してそればかりでうまくいくわけではない。
実は僕はこの論理的にものを考える人が苦手で、対人関係でも苦労している。それは自分がその人より論理的に物事を考えられてない証拠で、努力不足であると感じます。
一方で論理的な思考ばかりで話をされても、僕だって人間です。苦手だなとか、この人とは関わりたくないなと思う事も出てくる。人間には論理では片付けられない情というものもある。そういった事も考えると、情緒的読解力も絶対必要だと思います。
近年は論理的読解力やSTEAM教育などと言われ、理数系の力ばかりが注目されますがやっぱり文学的、情緒的読解力も必要だよと本書を読んで改めて気が付きました。
まぁ、何事も偏らないことが大事ってことですね。