今、学校教育は過渡期を迎えています。詰め込み授業からの変換、ITCを活用した授業、アクティブラーニングの活用。
社会で通用する力をつけるためには思考力、コミュニケーション能力が必要だといわれ、大学入試改革では、知識だけを記憶する試験では突破できないようになってきました。
一方で、僕は今の子ども達は成功を求められすぎている。と感じています。
- 僕たちが子ども達の幸せを願うとき、勉強ができる子に育てたいと思ったでしょうか?
- 僕たちが子どもの幸せを願うとき、いい大学に入って大企業に就職して欲しいと思ったでしょうか?
確かにいい大学に入ってほしいという願いがあるかもしれませんが、その本質は、社会で立派に生きていってほしい。自立した大人になってほしいという事なんだと思います。
自立した大人になる手段が学校の勉強だけだと思っているのなら、「麹町中学工場が教える 子どもが生きる力をつけるために親ができること」を読んで欲しいと思います。あの公立中学改革を実施された元麹町中学校長先生、工藤勇一氏の著書です。
くろちゃんパパ
- 思春期の娘二人(小学生、中学生)のパパ。
- 子育て本、教育本を100冊以上読む。
- 娘が生まれた時からずっと子育てに関わり、娘たちと今も良好な関係を築く。
- 長女の中学受験の勉強に毎日付き合い、中高一貫校の合格を親子で勝ち取る。
- 勉強だけで優劣が決まる今の教育に疑問をもち、未来型の教育に関心を持ち勉強中。
著者プロフィール
工藤 勇一氏
1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長などを経て、2014年から千代田区立麹町中学校長。教育再生実行会議委員、経済産業省「未来の教室」とEd Tech研究会委員等、公職を歴任(著書発行時。現在は横浜創英中学・高等学校の校長先生をされているそうです)
工藤氏の著書 学校の当たり前をやめたより抜粋
大人の価値観で、子どもを縛るのはもうやめよう(書評)
日本は「こうでないといけない」という縛りが多すぎると感じています。戦時中、右へ習えとずっと教育されてきた名残がずっと残っているような気がしていて、それが日本の閉塞感を生み出していると僕は考えています。
日本人の多くが考える当たり前。が多い代表が学校教育です。この学校の当たり前を壊して改革してきた方が、元麹町中学校長先生、工藤勇一氏です。
工藤氏の代表的な学校改革は、宿題なし、定期テストなし。
思いつきで目立つ施策を打ち出しただけのように思われるかもしれませんが、そこには勿論、根拠があります。
宿題や定期テストは昔から実施するのが当たり前。けれど、本来勉強とはわからないことをわかるようにすることが目的であり、すでにわかっている問題ですら大量の宿題でこなさなければいけない。おかしくないですか?と疑問をぶつけ改革をされたのが著者です。
詳しくは工藤氏の著書「学校の当たり前をやめた」に譲るとして、本書は、教育とは本来「子どもが社会で生きていく力」を養っていくことなんだという事、そして親や学校が子どもを縛ってはいけないという事が学べる本です。
子どもの幸せ=大人が考える幸せ。と思っていらっしゃる親御さんであれば、考え方がガラッと変わると思います。
子どもはもともと主体的な生物である
子どもは本来、主体的な生物であるという著者。
大人が、学校が、子どもを型にはめていくことによって、段々とその主体性をなくしていく。僕もその通りだと思います。
特に猛省したいのが、自分の過去の経験から、これはダメ。こうした方がいい。と子どもにアドバイスを送りがちで、子どもが希望していない型にはめてしまい、結果、子どものやる気をそいでしまっている。という事が往々にあると思うんです。
なるべく子育てに手をかけてはいけない。子ども自身が、自分の力で解決しないと、成長しない
というのが著者の根本的な考え方。
麹町中学をエリート校だと思っている方には申し訳ないですが、著書を読めば、決して学校が子どもを育ててくれるわけではないということが理解できるかと思います。
タイムマシン・クエスチョンで子どもが自ら考える
僕が本書を読んで一番使えるな~と思ったのが、タイムマシン・クエスチョンという考え方です。これは著者が本書で紹介している「森・黒沢のワークショップで学ぶ 解決思考ブリーフセラピー」に掲載されている手法なのだそうですが、
子どもに「未来を想像させる質問をする」というものです。
例えば「20歳になった君は、どんな事をしていると思う?」
と問いかけるのですが、子どもは、大学生になっている、とか、彼女がいる、とか、想像するわけです。そこで、
「じゃぁ、大学生になった君は、今みたいな行動をすると思う?」
と問いかけ想像させる。
子どもが今のような行動では将来不安だ思って努力してくれたらこちらのものですね。強制するのではなくて、子ども自身に考えさせる。
これも子どもの自立を促す手段として、シンプルだけどとても使える手法だなと感心しました。
「学校ではみんな仲良く」が子どもを縛り苦しめている
本書でさらに僕が印象的だったのが、「みんな仲良くしなければいけない」に対する違和感を、教員である著者がおっしゃっているところです。
幼稚園で嫌いな子がいることに悩んでいた息子さんに対して、自らも嫌いな人がいることを話されて、「みんなと仲良くしなければならない」ではなくて、「人と仲良くするのは難しいものだけど、仲良く出来たら素敵だね」とメッセージを変えると子ども達の受け取り方も違ってくるという点は共感しました。
さらに著者は、
「友だちがいない人はだめなんだ」という価値観が、子ども達を不幸にしている気がしてならない
麹町中校長が教える 子どもが生きる力をつけるために親ができること
とおっしゃっています。そして大事なことは、友だちを作る事ではなく、他者意識を持つ事なんだと説いておられるがまさにそのとおりだと思います。
好きでもない相手と友達になる必要はないけれど、その人とどう距離感をとってうまくやっていくか考えたり、自分の考え方を他者に伝える方法を考えたり、そういった事を育むことができたら、それだけでもいいんですね。別に友達の多さにこだわる必要はないし、それを僕は学校が教えるべきだと思うんです。
それだけで救われる子はいっぱいいると思う。
学べる場所は学校だけじゃない
僕は子どもに繋がれている「当たり前」、「常識」という鎖を外してやれば、子ども達はもっともっと伸びるんじゃないかなって思います。
僕は学区制が大嫌いなのですが、そもそも学ぶ場所が、文科省が直轄している学校だけというのも好きじゃない。不登校問題について著者は
不登校を問題にしているのは大人たちであり、学校に通うことが大人になるための手段の一つに過ぎなくなれば、不登校という概念はなくなる
麹町中校長が教える 子どもが生きる力をつけるために親ができること
とおっしゃっている。文科省が、著者のような考え方でいてくれたら、救われる子ども達はたくさんいるのになって思います。
今の公立学校をみていても、文科省だけで学校をなんとかしようというのはもう限界があると思うし、もっともっと多様な学びの場所を子ども達に開放し、文科省はそれを支援してほしい。
そうすれば、子ども達が自分の居場所を見つけてもっともっと輝けると思うのですね。
まとめ 子どもが主体的に学ぶためには、親はレールをひいてはいけない。
僕は工藤氏の「学校の当たり前をやめた」が好きでよく読むのですが、大人や学校の当たり前が子どもの本来もつ自主性を奪っていくのだなと痛感しています。
- 将来のためだと、好きでもない勉強を無理にさせる。
- 学校へ通うのも当たり前だといって、楽しくもない一方的な授業を延々と受けさせる。
- 学区制で好きでもない学校に通わなければいけない。
大人が用意したレールにのって楽しい子もいるでしょうし、それがハマって自主的に学ぶ子もいるだろうとは思います。ですがそのレールから外れたい子にとって、大人が押し付ける教育はとても息苦しいのじゃないかなって思います。
いい学校にいって、大手企業に就職する。
僕自身が、この大人がひいたレールを歩き、その教育を当たり前だと思って受けてきた人なので、思考を変えることがなかなか難しいのですが、まずは大人が、親が古い常識を疑って変えていかないといけない。
親の古い考え方を取っ払ってやれば、子どもはもっと主体的に学び始めるのではないかなと思います。
もちろん、ただ子どもに好きにさせておくだけではいけないと思っています。子どもが自主的に学びたいものがなければ提案もするし、学びたいものが見つかればその環境を用意してやる。
それは親の仕事だろうと思っています。
けれど、やるのは子どもだし、考えるのも子ども。著者がいうようにこれからの時代を生きていく力を「自ら考え、自ら判断し、自ら行動する資質」と考えるのならば、親や学校がレールをひいてはいけない。
そのことを本書で学ぶことができたと思います。