WBCものすごく盛り上がりましたね。日本が優勝という最高に結果に終わりましたが、最後、大谷選手*1がトラウト選手*2を三振にとるという、まるで漫画のような終わり方に国民みんなが熱狂したことと思います。
野球に詳しい人もそうでない人も、大谷選手がピッチャーとバッターの二刀流でしかも野球の最高峰である大リーグで活躍されていることは誰もが知っている事と思います。
子育てをしていると、我が子も「大谷選手のようにスターに育たないかな~」と一瞬でも思った事はないでしょうか?(笑)
ですが、自分自身が野球経験者ならまだしも、スポーツをそれほど嗜んだことがない親であれば、我が子が大谷選手にはなれないことを誰もが分かっている。それはスポーツの世界は個人の努力ではどうしようもない「遺伝」的要素があると認めているからだと思います。
しかし、それが勉強となれば、話は違ってくるのはなぜでしょうか?誰でも、努力すれよい大学へ入れる。そう信じて子どもを塾に通わせる。
僕は長女が中学受験をしていますから、その時に圧倒的に賢い子を目の当たりにしています。それでも心のどこかに、中学高校で努力すれば、東大や京大は別にしてもある程度、よい大学へ行けるだろうと思う自分がいました。
あるいは、「こんな私でも東大に。」といったようなCMを見れば、あの塾へ子どもを通わせたらひょっとしたら難関大学へ行けるのではないか?と思ったこともあります。
そう期待してしまうのは、知能は、スポーツとは別腹(笑)遺伝の他に、与える環境によっては才能が開花すると、どこかで少しは思っていたからだと思います。(それでも僕はどちらかというと遺伝を信じる派*3ですが・・・)
しかし、今回、日本人の9割が知らない 遺伝の真実という本を読んで、知能も遺伝するんだなと確信したと同時に、環境では才能を上回ることはできないだという事も知りました。
これは決して絶望ではありません。むしろ、光が差したというか、これから子育てをしていく上で大切な事を学んだなという思いでいっぱいです。
本書と著者のプロフィール
安藤 寿康氏
1958年東京都生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、同大学院社会学研究科博士課程修了。慶應義塾大学教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学。(著書発行時)
本書の要点ポイント(書評)
知能は遺伝と環境で80%が決まってしまう
著者自身ももともとは、環境によって人は変わることができるという環境論者だったそうです。ですが、大学院で行動遺伝学に出会い、研究の結果、知能も運動と同じように遺伝の影響を受けると考えるように至ったそうです。
ずばり本書によれば、知能のおよそ50%が遺伝であり、20~30%が環境であるのだそうです。環境が20~30%あるといっても、経済的な問題も絡み、才能と同様、子ども自身ではどうすることもできない要素であります。このように知能は、70~80%が遺伝と環境で決まってしまう。
しかし、筆者が本書でいいたかったことは、「勉強は遺伝だから諦めろ」という話ではありませんし、ましてや「親ガチャだから諦めろ」という話でもありません。
才能は遺伝である事を認めた上で、世の中は学力が全てではないこと、それから学力以外の異なる才能を活かした人達のおかげで世の中は成り立っているんだということ。これに気が付くことが大事だということでした。
問題なのは、僕たち親が、子ども達に勉強を無理矢理当てはめて評価しようとしている事なんでしょう。
なぜ、僕らは子どもの知能を諦められないのか?
では、なぜ僕ら親は子どもの知能を諦めきれないのでしょうか?
それは現在社会は、頭の良い人が評価され、そのうえ収入も高くなる傾向があるためです。そのため、知能についてはどうしても遺伝を認めたくない、諦めきれないという親が多いというのは、僕も過去のブログ*4で指摘した通りです。
著者は、才能は知能以外にも無数に存在しているのだから
- 子どもがどんな事に向いているかを真剣に考える
- 色々な分野に通じた人に子どもを会わせる
- 色んな経験をさせて、社会的文化的に価値があると考えられる刺激を与える
などを親は努力するべきだといいます。
子どもの誰もが才能を持っているのに、それを発見しようと努力もせず、ただ知能が社会的地位をあげるという理由だけで、子どもに勉強を強いていないか?はっと気づかされました。
才能は、本物と出会う事で刺激され、発現する
才能は、学んだり、鍛錬がないと発現しない。著者は本書の中で、教育改革として社会のキッザニア*5化を提案されています。キッザニアは子どもが職業体験をできるアミューズメントパークで、僕も子どもが小さい頃何度か連れていきました。とっても楽しい空間ではありますが、あくまでアミューズメントにすぎません。そうではなくてもっとリアルな社会経験を、中学生高校生の段階から積ませようというものです。
※これは五味太郎氏が著書「勉強しなければ大丈夫」でおっしゃっている事と全く一緒でリンクするので、関心がある方は是非、読んでみてほしいです。
大事な事は、本物に触れること。体験すること。子ども自身が本物に触れて、自分の潜在にある好きだとか得意だとか、才能に気が付くことが大事なんですね。探究学舎の宝槻氏のオヤジさんは、このことに気が付いていて、子どもに本物を見せることをずっとされていた。*6
社会の中で活躍しているプロ、本物と(それは人でなくて、ものでもいいのですが)子どもを触れ合わせることで才能を顕在化させる。本当に大事な事だと僕は共感しました。
才能は遺伝で決まることを認め、本当の子どもの才能は何かを探そう
本書は最後に、あらゆる才能は遺伝することを認め、多様な才能で評価する文化をみんなで作り上げていく。それこそが遺伝的な素質が発現する可能性を大きく高めると締めくくっています。
僕らの時代はいい大学に入って大手企業に就職することこそが成功であると言われた時代です。言い換えれば、知能という才能でしか評価されなかった時代。ですが、もう時代は、知能ではない様々な才能で活躍できる土壌ができあがっている。
面白い事に、受験必要論者の林 修氏さえも、著書「受験必要論」で、受験は必要だけれど、例えばカメラの得意な子ならば、カメラの大学を作ってもいいんじゃないか等、勉強以外の物差しを作るべきだとおっしゃっている。
問題は、我々親であったり、社会の意識です。学歴だけで人を評価せずに、多様な才能を拾い上げ、社会で認めていく。「日本は、平均80点の子を作るのは上手だが、突出した才能を作るのが下手に感じる」*7というのは、ソニーグループ前社長・平井一夫氏。
色々な才能に目を向けて拾い上げていくことができれば、日本にも突出した才能が出てくるのではないかと思う。
まずは僕自身から始めたい。子どもの好きや得意を認めて、それを支援していく。例えそれが勉強でなくてもです。
才能は遺伝で決まる。けれど才能は無数にあり、社会は無数の才能で成り立っている。僕のどんな遺伝子が子どもに受け継がれているかわからないけれど、子ども自身が、自身の本当の才能に出会えたらいいなと思う。