中学受験も含めて、受験という制度が果たして必要なものか?
一見、偏差値だけを物差しにした今の受験は、詰め込み教育ともいわれ、時に悪のように語られることがあります。大学入試改革もあり、大学の在り方も変わってきています。
- 偏差値で優劣が決まる受験って必要?
- 詰め込み型の勉強って意味があるの?
- 大学全入時代に、そもそも大学進学に価値があるの?
こういった疑問に対してのヒントや答えを見つけるのにうってつけの本があります。少し古い本ではありますが、受験必要論という本です。
「いつやるか?今でしょ?」でおなじみの林修先生の著書で、インタビュー形式で、受験をテーマに語ってくださっています。本を通じて、受験についての林先生の考え方がわかる貴重な本です。
本書と著者のプロフィール
林 修氏
27歳で東進ハイスクール、東進衛星予備校の現代文講師になる。「いつやるか?今でしょ?」のセリフで大ブレイク。テレビ番組「ネプリーグ」などにも出演(著書発行時)
本書の要点ポイント(書評)
例えばイチローや大谷選手のように小さいころから夢や目標があり、それに向かって懸命に打ち込んでいる人がいます。そういう人にとっては受験は不要といえます。ですが実際にそういう子は少ない。
まだまだ狭い世界に生きている高校生にとって、1つの目標として打ち込むものとして、受験が役割を果たしてもよい。
これが林先生の結論です。要するに、受験じゃなくても、他に打ち込めることがあればそれでよい。打ち込むものがないのなら、それが受験でも悪くないですよという事ですね。
一方で、林先生は、今の受験が簡単になりすぎている点を憂慮されています。
大学に(無理に)全員が行く必要はないにも関わらず、今は大学全入時代で簡単に大学に入れる。AO入試については、小論文などは結局は、予備校や進学塾が対策をして教えるから、あまり意味がない。徹底的に大学は整理、見直す必要があるとおっしゃっていますし、学生に対しても、試験をしっかりすべきだとおっしゃっています。
要するに大学は本来、高度なレベルの教育が行われるはずの場所なのに、今は、その学力がない学生が簡単に大学へ進学している。このことを憂慮されているのだと僕は思います。
厳しめの意見だと思いますが、僕自身も同じ考え方です。学力がない子が大学に行っても、その子の将来にとってよいことが何もないし、学力が身に付かない大学が存在することも子どもにとってよくない。
林先生は、その代わり、勉強以外の物差しも用意するべきだと本書では一貫しておっしゃっています。例えば、勉強ができる子は学問の大学へ、カメラが得意な人は、カメラの大学があってもいい。この考え方についても僕は賛同します。
個人的には、僕は公立中学でも進学コースを作ってほしいとずっと思っています。勉強が好きで得意な子の進学コースです。
一方で、別の物差しとして、技術が得意や、芸術が得意といったコースがあってもよい。勉強だけが脚光を浴びるのではなくて、それぞれの得意にフォーカスした受験があってもよい。公立中学がこんな風になったら素敵だなと思うのです。
本書を読んだ今後の行動(まとめ)
本書が書かれたのは2013年ですから、今は林先生の考え方も変わっている可能性はあります。ですが、受験や大学について林先生の考えを本を通じて聞けたのは本当に貴重でした。
結論、子どもに何も打ち込むことが見つかってないのなら、やっぱり受験は必要だなという事です。
高校生の時点で、人生の目標が何も決まっていなくても、大学には将来の可能性を探すことができる猶予(モラトリアム)期間があります。ただ、大学で目標を見つけようと思うなら、必要最低限の学力が必要です。
社会に出たら、厳しい生存競争が待っています。ゆるい受験で、厳しい競争を経験せず社会に出てしまうと、結局、社会で挫折することになる。勉強の大学でも、カメラの大学でもいいんですけど、子どものために、高等教育は厳しいものであってほしいなと思います。
そのために、多少厳しい親となりますが、子どもが自分で学び、自分で努力できるように見守っていきたいと思っています。