我が家の長女は、私立中高一貫校に通っている事もあり塾には通っていませんが、今、6~7割の中学生が塾に通っているというデータがあります。
一時、長女にも「塾に行こうかな~」という時期があったのですが、とにかく私立中学の勉強量が多い事もあり、学校に加えて塾もとなると大変なので、学校で授業をしっかり受けていれば現時点で塾はいらないとなりました。
次女についてもこのブログで紹介した通り、勉強習慣をつける目的でスマイルゼミをやっているだけです。
僕は今まで色々な教育本を読んできたのですが、読めば読むほど、この不透明な時代、勉強、勉強という教育は子どもを伸ばさないのだろうなと思うようになりました。
娘たちは、正直、勉強は好きではありません。であるならば余計に、無理に勉強を詰め込んでもきっといい方向には向かわないだろうなと思うようになったのも塾に通わせていない理由です。
ですが本当のところ、昭和生まれの僕にとって「子どもが勉強ができない」「勉強についていけない」というのは、不安でしかありません。
しかし、「今日から塾をやめてみた」を読んで僕の不安は吹き飛びました。今は迷いなく、うちの子に「今は塾はいらない。」といえる。
今回は、探究学舎代表 宝槻氏のこの著書の書評をしてみたいと思います。
本書と著者のプロフィール
宝槻 康伸氏
1981年東京都生まれ。京都大学経済学部卒業。探究学舎代表。幼少期から「探究心に火がつけば子どもは自ら学び始める」がモットーの型破りな父親の教育を受ける。高校を中退し京大に進学。開発期間5年をかけて確率した探究型の教育手法は、子どもたちから「わぁ!すごい!」と歓声があがる”驚き”と”感動”の詰まった授業として、熱烈な支持を受け続けている。(著書発行時)
本書の要点ポイント(書評)
子育てに正解はありません。そして誰もその答えを教えてはくれない。でもその答えを見つけたいし、まちがえたくないのが親です。
「子どもの学力が高い。成績がよい。」このとてつもない安定感、安心感を求めて、親は「そろそろ子どもを塾に入れてみようかな」と考えてしまう。
しかし、「学力が高い=幸せになれる」と今も本当にいえるのでしょうか?右へならえで良かった昭和の時代ならそれもありだったでしょう。でも今は多様な価値観の中で新しいものを創造しなければいけない時代です。
塾に入れることと幸せな人生を歩むことには何の因果関係もないと断言する著者。
本書は過去の成功体験にとらわれず、自分らしい子育てを見つけるヒントが散りばめられた一冊です。
親の価値観は「昭和」の価値観!
僕たち親には潜在的に「勉強ができるようになれば子どもは幸せになる」という意識があるように思います。それは、いい大学に入って一流企業に就職出来れば将来が保障される。といわれて育った世代というのがやっぱり大きいし、今の不透明な世の中を生きていると、どうしても安定を求めてしまうことも一つあるかもしれません。
勉強ができることが子どもの幸せにつながる。昭和の時代であればそれは真実だったかもしれない。でも今は様々なことが猛スピードで変化している時代。昭和の価値観に縛られていては、子どもの幸せを逃してしまいかねないと著者は警鐘を鳴らします。
「昭和」の価値観!著者にいわれてどきっとしました。
わかっていても、「子どもに学歴を求めてしまう」勉強を子供の将来の担保に考えてしまう。心のどこかに、万が一のことを考えて、子どもには大学には行ってもらいたい、そう考える僕がいる。
この昭和の価値観から脱する為に僕はどうしたらよいのだろう?この本をさらに読み進めたくなりました。
子どもに不快を押しつけていませんか?
親は子どもの行動を善悪で判断しがちだと著者はいいます。例えばニュース番組や算数ドリルは善。ゲーム、漫画は悪。といった具合です。そうですね、これが子どもを叱る物差しになっている。
ですが子ども達の行動は、快か不快かで決まる。つまりニュース番組や算数ドリルは不快だし、ゲームや漫画は快です。子どもとっては面白いか、面白くないかなのです。
親は、「不快な善」に子どもを向かわせようとしますが、子どもによきものを与えたいなら「快な善」に向かわせるしかないと著者はいいます。
これも痛いところをつかれています。
自分の行動を振り返ると確かに「不快」且つ「善」ばかりに子どもを導こうとしていたように思います。
「快」であり、且つ「善」を見つけるのはなかなか骨の折れる作業ですが、それが本来の親の仕事なんだと本書を読んで気が付きました。
人間には8つの能力がある
子どもに不快を押し付けていた自分に気が付きましたが、それでも快だけで生きていけるほど世の中甘くない。勉強はできていたほうがいいのではないの?という不安は昭和の人間には残ります笑
次に本書で学んだのは、人間の能力には8つの能力があるというアメリカ・ハーバード大学の教授、ハワード・ガードナーの多元的知能理論です。
↓子育て視点での多元的知能論。僕は下記サイトが一番わかりやすかったです
この理論では、人の能力を8つに分類します。
- 論理・数学的知能
- 博物学的知能
- 言語・語学知能
- 視覚・空間的知能
- 身体・運動感覚知能
- 音楽・リズム知能
- 対人的知能
- 内省的知能
一般的には論理・数学的知能(算数など)や言語・語学知能(国語や英語)などが優れているといいといわれますが、多元的知能理論では、8つの能力に優劣をつけない。
むしろ、算数や国語や英語以外など勉強以外の能力でも今は評価される時代なんだと勇気をもらいました。
今までは勉強ができないと子どもの評価は下がるだけだと潜在的に思っていたのが、これからは勉強だけが評価される時代なんじゃないんだと思えるようになってきました。
さかな君のお母さんが偉大!
もう一つ、勇気がもらえたエピソードとして、子どもの得意を徹底的に応援するさかな君のお母さんの話が載っていました。
さかな君のお母さんは、「家で勉強をさせてください」という学校の先生に対して、「息子は魚が好きなので勉強はできなくてもいいんです。」とはねのけたというあの有名なエピソードです。
勉強はできなくていい・・・ですよ?そのさかな君は今、東京海洋大学名誉博士、東京海洋大学客員教授です。
子どもの勉強をここまで捨てられる親御さんってすごい!僕にもできるだろうか?学校の勉強ばかりが全てではない!と、ちょっと勇気がわいてきました。
ただし、さかな君のように一つの物事にここまで没頭できる子というのは実はレアなんだ、という著者。
普段から、「何でもいいから夢中になれるものを見つけなさい」と簡単にいう親は多いと思いますが、これって結構難しい事なんですね。
熱中しているのと依存しているのは違う
子どもの熱中を探してみると、ゲームだったりYOUTUBEばかり。不安になるけど、これも一つの熱中体験なのではないか?そう思って応援しているって親御さん、それはどうやら間違いのようです。
夢中には興味をとことん掘り下げるタイプと、中毒になって依存しているタイプがあるといいます。ゲームの場合、多くは中毒になって依存している後者の方になる。スマホ依存も本当に怖い・・・。
子どもがどちらの夢中状態なのかは親は見極めなければならない。
そして、さかな君のように子ども自ら探究するような子はレアなのですから、子どもの熱中体験は親が引き出してやらないといけない。
著者はどんどん面白そうな事を子どもに提案しなさい、体験させなさいといいます。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。の精神です。これって親にしてみたら体力勝負、気力勝負になりますが、子どもの熱中は簡単には引き出せないんだということは、「東大脳の育て方」の書評でも書かせていただいたとおりでした。
まとめ 勉強ができる事が子どもの幸せに繋がるという昭和型の価値観から脱却せよ!
- いい大学に入っていい会社に就職しても安泰ではない
- 学歴だけに何の価値もない
こんな事は、本で何回も読んだはずなのに、潜在的に子どもの勉強を捨てきれない僕がいました。(今でも少しは残っている?)
ですが本書を読んで、これこそ昭和の価値観なんだと改めて知ることができたのは貴重でした。
勉強が得意であれば、また自ら勉強したいという意志が有れば、塾に通わせてあげるのは非常によいことです。
ですが子どもが勉強がそこまで好きではない場合、塾に無理やり行かせる事は子どもの幸せに本当に繋がることなのか?は考えてみた方がいい。
子どもに面白そうな事を数々提案すること、体験に連れ出すこと。これって親にとってみたらものすごいエネルギーがいる事です。ですがそれで勉強にも勝る子どもの熱中体験が引き出せるとしたら、親としたら一度は頑張ってみたい。我が子の幸せを本気で願うなら。
本書を読んでそう思いました。
宝槻氏は探究学舎を運営されておられますが、子ども達が小さいうちだったら通わせたかったなと今更ながら思いました。そのくらい、この著書には感銘を受けました。