先般のブログで、思考力が足りないとか云々よりも、学生が、大学に入学した途端、学びを止めてしまう事が問題だと書きました。
もうひとつ踏み込んでいえば、僕は大半の学生が大学で何を学ぶのかイマイチわからずに大学へ進学しているのではないかと思っています。
ただ就職に有利だからとか、みんな大学に行っているから等という理由でなんとなく大学へ進学しているのではないか。というのも実は僕がそうだったから、今の学生もそうなのではないかと思っているわけです(苦笑)
ゆえに子供の大学進学を考えるなら親は必ず大学の現状を知っておかなければ後悔する事になる。
年間100万?卒業までに400万最低かかる。それまでの投資も含めると人生においてかなりの大きな買い物になるのが教育費です。
- 大学って何を学びにいくところなの?
- 大学進学して、子どもは勉強するようになるの?
- 大学進学ってそもそも価値があるの?
こういった疑問をお持ちの方は、「どんな大学に入ってもやる気がでる本」を読んでみたらよいと思います。
著者である鷲田氏は、実際に2012年まで札幌大学の教授をされていた方ですから、大学の学びや本質にについて知りたい方は参考になると思います。
本書と著者のプロフィール
鷲田 小彌太氏
- 1966年 大阪大学文学部卒
- 1973年 同大学院博士課程中退
- 1975年三重短大専任講師、同教授
- 1983年札幌大学教授 2012年同大退職
ベストセラー著書多数(著書発行時)
本書の要点ポイント(書評)
これまで色々な方の本を読んできて、僕自身も色々な理想論を書いてきました。しかし、著者は非常に現実主義だ。しかも、的を得ている事が多い。
子どもの興味関心をくすぐり、得意を伸ばしてやる。これは多くの親が思っている理想だが、
「子どもの絶対多数は勉強よりも好きなものがある」「勉強嫌いを好きにするのは簡単ではない」「もし試験がなければ学生の9割9分は学ばない」
などの著者の指摘は、実に現実主義かつ、的を得ている。
大学でも学ばない学生が多いにも関わらず、著者は大学には行っておいたほうがよいと断言する。大学生活はやりたいことを見出すためのモラトリアム(猶予)期間でもあるからです。
大学生には膨大な時間がある。この時間を利用して、勉強のしようによってはプロに近い能力を身に着ける事だってできる。ただし、大学は、基本自学自習の場である。この時間を生かすも殺すも、学生自身であるし、モラトリアム期間中に自ら気付き、自学するしかない。
大学の授業を受ける前にテキストを事前に読んでくる学生が少ないというが、最低限、授業受ける前にテキストは読んで、知識や興味を持って臨むべき。というのは同意。
私も大学時代の記憶をたどると、大学内の生協でテキストは買ったものの、それを通読した記憶がない。テキストを最低限通読して授業に臨んでいたなら、結果はどんなに変わっていただろうと思う。自分が受ける授業のテキストは最低限、通読しておくことが授業への興味関心につながるし、いかに大切だということは、恥ずかしながら、本書を読んで初めて理解した。できる学生はきっと通読しているはずです。
また大学に行く価値は、やはりゼミにあると本書を読んでも思いました。その道の専門である大学教授とは、大学でしか出会えない。
大学とはやはり高い専門知識や技術を研究しに行く場所であるという本質を忘れてはいけない。キーワードは専門です。浅い一般教養を学ぶだけに大学へ行くのは本来、もったいない。そう考えると、大学で本当の専門を学ぶ場所は大学院だといえる。
もちろん就職するために大学へ行くという側面もあると思う。だけど、許すなら、大学院までいって、専門をみにつけることができたなら大学へ行った価値はぐっとあがるかもしれません。
実際に大学院まで進学する学生は、文科省試算では、2020年までに25万人と推測していたものが実際は、30万人を超えたそうです。自学自習し、学ぶ楽しみを知る学生が少しづつではあるが増えているのかもしれません。
しかしこれでもアメリカの1994年比の1/7だというのだから、これがアメリカの強さの秘密なのかなと思う。
本書を読んだ今後の行動(まとめ)
大人になって俯瞰して物事をみられるようになって初めてわかることもたくさんあります。今回、本書を読んで大学で学ぶというのはどういうことなのかわかったような気がします。大学生の時に気が付いていれば。。。というポイントが本書にはいっぱいあった。
娘が本書を読んでくれると一番よいのだが、まだまだ子ども。そうでないなら僕の口からわかりやすく大学とはこういうところだよと伝えてあげたい。
また、大学で何を学ぶのか明確にしてから入学することは大事なことだなと思いました。ゆえに、今後ますます増えていくと思われる総合型選抜入試(旧AO入試)には注目したい。