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こんな入試制度で大学に行かないと子どもは幸せになれないのか、本気で悩んでいる

昨日、こんな記事を読んだ。

大学入学共通テストの話題です。2025年1月からのテストに新たに「情報」が加わることが決まったようです。

僕は一応、情報の勉強をやってきた人なので、子どもに勉強を教えようと思えば教えられますが、そもそも論、子どもが「情報」に興味を示さない限り意味がないことで、子ども視点からみれば、単純に1教科が増えただけという事になる。

ただこれは、たかが1教科増えただけという問題ではないと僕は思っています。物理的には1教科「増えただけ」ですが、問題を多様に抱えている。その問題点について今日は書いてみたい。

目次

大学入試共通テストに「情報」が追加された問題点

未来の教育に逆行している

「多様な個性が長所として肯定され生かされる教育」の実現には、一人一人の長所. や強みを最大限に生かす視点が重要

と教育再生実行会議で提言*1されたように、

子どもの得意を伸ばしていこう、ある分野で突出した子を伸ばしていこうという、これが今後、日本が目指す未来の教育ではなかったのでしょうか?

ソニーグループ前社長・平井一夫氏*2しかり、池上彰氏、佐藤優氏*3しかり、日本は「平均的に優秀」だという子が多いと感じているとおっしゃっている。その平均を脱して、GAFA(google,apple,facebook,amazon)のような起業家が育つように個性を育てていこう、そういう教育に転換していこうという事だったと思います。

それなのにまた、情報という教科を1つ詰め込む。なんかがっかりしました。

こうなれば受験生は、大学に受かるために、より多くの分野の勉強を「平均」的にしなければいけない。どれもこれも中途半端な大学受験用の知識を詰め込んで、あるいは、塾の受験テクニックに頼って、入試に挑むことになるだろうと予想します。

未来の教育が、本当に「ここ」にあるのでしょうか?

情報を教えられる先生がいるのか疑問

これからの時代、デジタル社会に対応できる人材を育てる必要がある。だから「情報」が必要なんだということであれば、情報のプロを先生に招くしかないと思います。

現時点では、「情報」の先生になるには、高校教員の免許が必要*4だというのですが、これでは、情報を教えられる優秀な先生は集まらないでしょう。

というのは、基本的に先生というのは、一般企業で働く経験をしないで先生になるものだと思っているのですが、情報を社会で役立てるためにどう使うのかという経験は、一般企業を経験しないとなかなかできない。

「情報の資格をもっています。」だけでは、質の良い授業を提供することは難しいと僕は思います。

さすがに自治体によっては教員免許なしで、特別に先生になれる特別枠を用意したそうですが、情報をどうしても入試問題にしたいのなら、一般企業でばりばり情報系で働いている人が教えないと意味がない。

いやいや、情報といっても、情報リテラシーを問うような簡単な問題ですよ。ということかもしれないですが、*5だったらそんな中途半端な教科をテストに入れるべきではなく、生徒の負担になるだけだと思った方がいいでしょう。

大学共通入試テストを改革する趣旨は、大学入試が変わらなければ、いつまでたっても、高校や中学の知識偏重の授業が変わらないというものでした。

理想はそうでしょうけど、先生が、プログラミングを含む情報を教えられないのであれば、まず学校で学んでも中途半端。時間の無駄です。

思考力を問うテストもそうですけど、高校でまともに教えられる先生がいないのなら、いくら大学入試を変えても、意味はない。むしろ、高校でまともに教えてもらっていない問題が出題されるのですから、生徒はたまったもんじゃありません。

公教育から専門外の分野を切り離していく必要性

それでも、どうしても情報を入試で扱いたいのなら、学校の先生から担当を外してあげるべきだと僕は思います。

スタンフォード大学オンラインハイスクール校長の星 友啓氏がおっしゃるとおり、公教育はインフラであり、簡単には変われない。*6

公教育は、どんな環境の生徒であっても見捨てず、教育を提供している。僕は、この仕組みは大変素晴らしいと思っていて、我が子を教えてもらっている事も大変感謝していますし、役割としてはもう十分すぎると感じています。

だから、そろそろ先生から専門分野でないものは、部活にせよ、情報にせよ、切り離していってあげるべきなのではないでしょうか?と僕も思う。

昨今の教員の仕事の過酷さのニュースを見ると、公教育で何でもかんでもやろうというのは、もう限界に近いんだろうなと思います。

全てが全て、学校の先生がやりなさい、学校が変わりなさいというのは酷でしょう。

こんな入試制度で大学に行かないと子どもは幸せになれないのか?

大学入試共通テストは、基礎学力を問えばいい

話を大学入試に戻します。

そもそも、なぜ大学入試問題は、思考力を問うたり、情報など新しい分野の教科を追加する等、小難しくする必要があるのでしょうか?大学入試が、入学希望する学生を振るい落とすことが目的になっているからではないでしょうか?

根本ここが変わらないといけないと僕は思います。小学生から大学入試に受かるためだけの勉強をする人生を子どもに背負わせてよいものか、親としては本気で悩みます。。。

僕の従来からの主張は、大学入試共通テストは、複雑な問題を解かなくても、基礎学力を問えばいい、です。この基礎学力というのは、学校の授業をきちんと聞いていれば、解けるような問題のことです。

大学入試は総合型選抜入試に統一してしまって、基礎学力を問う大学共通テストは必須、加えて大学で何を学びたいのかをアピールすればそれでよいと思う。一般入試と総合型選抜入試のハイブリットですね。

大学へ行って子どもが幸せになれるかどうかも不透明

今のままの大学入試なら、きっと大学入試に受かるためだけに勉強をするという構図は変わらないと思う。

子どもの得意な事、勉強したい事を伸ばしてやりたいと思うのに、どんどん好きでもない教科が、世の中に必要だと言って増やされていく。

「大学へ行って、学ぶべきだ」と自信をもって子どもに推薦していいものだろうか?僕は本気で悩んでいるところです。

「0才から100才まで学び続けなければならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」*7の著者・落合陽一氏は、人生100年時代、大学で学んだことだけで一生安泰なスキルを維持するのは難しいといい、「一生学び続ける」スキルを身につけなければいけないとおっしゃっている。

ならば大学合格が目的、ゴールとなり、受かった後は勉強をしないというような大学入試の仕組みはもう終わりにしなくてはいけない。

そうでなければ、親も子も、大学に高い授業料だけを払って、「何しに大学へ行ったの?」というような事になりかねない。

【追伸】

僕は密かに2025年に設立されるネットとリアルを融合したZEN大学に期待しています。

ZEN大学は同じくネットとリアルを融合したN高等学校*8を運営している角川ドワンゴ学園が立ち上げる大学ですが、「自分が学びたい事を研究、探究できるのが大学」だという方向に大学を導き、風穴をあけてくれるのではないかと密かに期待しています。

ZEN大学の考察については、また別記事に書きたいと思っています。

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